“感覚主義なんで…”

 

この言葉をよく発する時。

 

大事な事。

直視しなければいけない事。

そういった事柄から逃げていないか
自分を見つめ直してみてはいかがでしょう?

 

本当の感覚主義の人って

自分で感覚主義だって

気づいていない事のほうが多い。

それに、

自分の中の絶対的なものが確立してるから

周りの意見とか視線とか

全然気にしていない。

自分の欲求に正直に突き進んでいるから、

 

自分が感覚とか

なんだとかもどーでもいい。

って言った感じだったりするんですよね。

 

その反面

 

自分は感覚の人だから

この発言を連発する向こうにあるもの。

 

それは

 

想像力の無さを

否定されたくない。

認めたくない。

そんな自分がいると言うことなのではないかと

時より思うことがある。

 

考えると言うことは想像力なしでは出来ない。

 

例えば

仕事においても

結論までの過程を描くにしても、

それから逆算するにしても、

ストーリー立てて想像を働かせなければ

組み立てられないと思うのです。

 

これは人生プランも同じだと言えます。

 

きっと

感覚主義なんで!!と連発する時は

苦手分野を出来るようにすることからあきらめ、

感覚主義という言葉に変換させることによって正当化

そのままでいることを選択したのかも知れません。

理由はひとつとは限りませんが…

 

もし正当化してるとして

向こう側ある思いをかき消しているとしたら…

それはとても勿体無い時間を

過ごしているように思えるのです。

 

実は私も瞑想する前までは同じことを

よく言ってました。

 

私感覚主義だからって(笑)

 

しかし、

自分自身の内面と向き合うようになってからは、

 

感覚主義に逃げていてはだめだ!!

私、想像して考えきることから逃げてる。

 

そう思うようになったのです。

 

それまでは

寝れないほど考えていると思っていたのですが、

想像を着地させて結論が出ないから

考えが続いているだけ。

 

結局自分の意思で決定、決断することへの抵抗があったんだと思います。

 

覚悟きめて進むことに

ナーバスで仕方なかっただけなんでしょうね。

それも続くと、

多分考えることに飽きたんでしょうね。

その反動で

直感的で考えつくとすぐに動いてしまったり、

絶対的な根拠や結論にたどり着くことなく

始めていることが多かったのです。

 

こんなことを繰り返していた私でしたが、

瞑想を通してじっくり腰をすえて考えるようになってからは、

物事の過程を様々な方向と視点からみて

根拠を導き、結論を出し、

納得してから動くことが出来るようになり、

やってみて違った。

失敗した。

こういった事がほとんど無くなったんですよね。

 

想像した通り、

仮定した通り、

事が進んでいく。

 

今ではこれが当たり前になりました。

 

 

それからと言うもの

感覚主義なんで…

この言葉を口にすることもなくなりました。

 

行動が変わると

使う言葉も変わるものなんですよね。

 

感覚主義なんで!!

この言葉が口癖になっていたら、

想像を膨らませよく考える自分に
シフトしてみてはいかがでしょうか!?

 

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